先日、とある詩を知りました。
海外作者不詳で、最近じわじわと感動の和が広がっているんだとか。
私もうるるっときました。

『今日』


今日 私は お皿を洗わなかった
ベッドは グチャグチャ 浸けといたおむつは だんだんくさくなってきた
昨日こぼした食べかすが 床の上から 私を見ている
窓ガラスは 汚れてアートみたい
雨が降るまで このままだろう


人に見られたら なんていわれるだろう
ひどいね〜とか だらしないね〜とか
今日一日 何をしてたのか?とか


私は この子が眠るまでおっぱいをやっていた
私は この子が泣き止むまでずっと抱っこしていた
私は この子とかくれんぼしていた
私は この子のためにおもちゃを鳴らした
それは きゅうと鳴った
私は ぶらんこをゆすり 歌をうたった
私は この子にしていいことと悪いことを教えた


ほんとに いったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね たぶん
それは ほんと
でも こう考えればいいんじゃない?
今日一日 私は 澄んだ目をした髪のふわふわなこの子のために すごく大切なことをしていたんだって…
そして もし そっちのほうがほんとなら 私は ちゃーんとやったわけだ…






<昨日こぼした食べかすが床の上から私を見ている>か。
本当にそう。
旦那が帰ってきたらなんていうかな、なんて思うかなっていつも思う。
(何も言う人じゃないけど)
でも、もし本当に子供のためになることだけはちゃんと、ちゃんとできたのなら、それが一番大事なんだよね。
ほかのこと、ちゃんとできなくても、子供には当り散らさず、ちゃんとしたい。
怒ってばっかで、ゴメンネ。。。